ある程度いいエンジニアでありたいかもしれない

ふとしたときに、ぼーっと考える

会社(や評価をする人)は何をもって「このソフトウェアエンジニアはいい」って判断するのがいいんだろうなぁって。むずかしくない?入社前じゃなくて、入社した後のこと。自社ウェブサービスを開発しているソフトウェアエンジニアのこと

特に伝えたいことも答えもなくて頭の中のメモ

分かりやすいならいい

その人の開発したものが、バグだらけだとか、そもそも設計ができないとか、そういうのだと分かりやすいからいい。まずは、バグを減らそうねとか、設計ができるようになっていこうね、という話

あと、やってることが周りから見えないとか、コメントとかが攻撃的で一緒に働いてる人が嫌な気持ちになるとか、まぁ、そういうのも「違うよね?」って言えるし、コンピテンシー評価で伝えていけたらよさそう

ある程度のモノができている場合は、どうだろう?

もっと早く作ってほしかった!

って考えるかもしれない。確かに、単にスキルが低くて開発スピードが遅かったのかもしれない。ムダが多いのかもしれない

でも、ある程度スキルがある場合は、技術的負債とのトレードオフをいい感じに決断して、外から見える開発スピードが少し落ちていたのかもしれない

本人の開発スキルとは別で、他の部署とのやりとりが必要で時間がかかったのかもしれない。でも、そのあたりのスキルが高い人は、他部署とのやりとりもスムーズに進められるのかもしれない

もっと早く作ってほしかった!といったときに、基準は何になるんだろう?見積もり?じゃあこうかな?

見積もりどおりに作ってほしかった!

作る前に「これぐらいで作ります」って言うやつ。これは、わりと多いのかなと思う

不思議なもので、見積もりで3ヶ月くらいかなと言って4ヶ月かかると、あんまり印象よくないのに、同じものを5ヶ月かかるって見積もって5ヶ月で作る方が印象がいい。不思議ではないか

そうなってくると以前もブログに書いたけど、3ヶ月くらいかな?と思っても5ヶ月かかるって言って5ヶ月かけて作るようになるのかもしれない

5ヶ月って言っても4ヶ月くらいでできるんじゃないの?みたいなことを言い出す人もいるかもしれない

そうすると6ヶ月って言っておいて、5ヶ月でできるんじゃないの?って言われて、じゃあ5ヶ月でがんばってみます、みたいな会話をするようになるのかもしれない

自分が言ったものがスキル判断の基準になるというのは、なんとも便利な仕組みなのかもしれない

それがいいものなのかどうか

そもそも、ある程度のモノができている場合は、それがいいものなのかどうか自体、すぐには分からないのかもしれない

3ヶ月後に何かトラブルが起こったときに、ログが何も出てなくて困るかもしれない。アラートやログがめちゃくちゃたくさん出てて何がなんだか分からないかもしれない。ちょうどいいログが出てて、すぐに解決できるかもしれない。アラートを飛ばす必要もなく、自動でリカバリーするように設計してあるかもしれない

その人がいなくなった後もスムーズに開発が続いているかもしれない、フレームワークの載せ替えもノートラブルでサクッと終わるかもしれない、3年後も同じスピードで開発を続けているかもしれない

見た目は全く同じリンゴなのに中身が違う

でも、熟しているものが常にいいとは限らない。ときには、中がスカスカでも今すぐ手に入るものが必要かもしれない。その辺りの判断も、スキルがある程度ある人は上手なのかもしれない

やっぱり、モノでは判断しづらいのかもしれない。となると…

がんばりを見よう

ってなるのかもしれない。8時間ちゃんとがんばって仕事をしているか?最近はリモートが多いから、チャットツールでオンラインかどうかをずっと見ていればいいのかもしれない

うーん、やっぱり、そういうのを見てもなぁ…という気がするので、僕は「がんばり評価」の話には興味がないのかもしれない

じゃあやっぱりモノに戻ってきてしまうので

ある程度の

ある程度のモノを、ある程度上手に作ってる場合、「ある程度いい感じだね」って言って、ある程度評価してくれたら、僕はある程度満足なのかもしれない

そんな風にして、お互いに背中をあずけて開発をしていけるような、ある程度いいエンジニアでありたいかもしれない

特にどこにもたどり着くことなくこの話は終わり

この記事を書いた人は

こんな本も読んでいます

books.rakuten.co.jp