遠回りだとしても...

今日もうだうだと。あだち充の最終回風のタイトル!

違和感に潜む

何かに違和感を感じた時とか、納得できないときとかは。それがなくなるまで議論をする。
要件定義とか外部設計とか、ビジョンに影響するもの、あとに響くものは特に。

「え?なんでそれ実装しないほうがいいと思うの?」
「んー。それじゃ納得出来ない。実装した方がよくない?なんか別の理由あるの?」
「なるほど。単純にめんどくさいからやりたくないってことね。それならよかった。あとは好きにしてくれていいよ!」

結局違和感の理由が分かってしまえば、どっちでもいいやってことが多いけど。
違和感とか、それをあまり強く言い出せない気遣いとか。そういう場所に悪魔が潜むので。

悔しいのは嫌だ

んで「あのとき僕は違和感あったんだけどね」とか言い始めるともう当事者じゃなくて。
悔しがりたい。「なんであのとき違和感つぶしとかんかったんやー!」って。

でも悔しいのは嫌だ。全力を尽くして答えを出しといて。失敗した時に。
「あぁ・・・これは・・・もう僕の力不足だったわ・・・」って言いたい。

それも悔しいのでスキル上げたい。

めんどくさいよ?

なので、相手はめんどくさいだろうなーと思うけど。
それが僕なりの仕事への向き合い方で。相手じゃなくてサービスを見てて。
誰かが決めたものを作るんじゃなくて。自分がその決断に納得したから作る。感じ。ま、あたりまえか。

遠回りだとしても

要件について1日中議論して、結局、昨日の案に落ち着いたりするんだけど。
だから出来上がったものって、僕らのチームの大量の議論のほんの一部なんだけど。
その議論は無駄ではなくて。

今の自分達で出せる全力でいいものを作る。という意志があって初めて。
失敗することに意味がある。と言えたいなと。

おはよー!